99日目の夢語り<みかん>
令和3年10月9日、翌日に「土石流災害発生100日犠牲者追悼式」を控えたこの日、逢初川復旧の方向性に関する説明会が行われた。みなし仮設住宅であるアパートや市営・県営住宅に住み始めてから初めての説明会である。これから先のことを思い、大きな不安を抱えながら説明会に臨んだ。
国や県から、新設される堰堤のこと、落ち残った土砂のこと、第2の盛り土のことなど説明があった後、熱海市長から今後の復旧・復興の基本的な考え方について話があった。
戻りたい人が必ず帰れるようにと言いながら、戻らない人が出ることによって、新たな土地が生まれる可能性があるとし、それを伊豆山全体の発展に使いたい、新しいまちづくりの契機になると市長は言った。伊豆山の歴史を今一度掘り起こして再定義するタイミングだと。そして、それらを生かして賑わいの拠点を、ミニ門前町的なものが何とかできないかと考えていると語った。また、上流部の堰堤の工事用の道路をハイキングコースとして使うことを国に提案しているということ、駐車場を整備して交流人口を増やし、それと同時にワーケーションを活用した移住促進事業、チャレンジショップやチャレンジオフィスにより定住人口の増加と地域産業の活性化にもつなげたいということである。
「これはわたしの夢です。」
議事録からは削除されていたが、確かに市長はそう言った。そして伊豆山の新たな町づくりの契機そのものだ、今日は復旧復興に向けたキックオフだと思っていると、嬉々として自身の思いを語った。
何か大事なものを置き去りにしていないか。その日は、災害発生から99日しか経っていなかった。非常に残念なことだが、大切な家族を亡くした遺族の方々の気持ち、家や大事なものの多くを一瞬にして奪われた被災者の気持ちなど微塵も考えていない市長の発言だった。
その後の質問では、遺族、被災者の怒りが爆発した。当たり前である。心に傷を負い、今日、明日のことが不安で仕方のない人たちに、市長は災害を契機にした楽しい夢を聞かせたのである。
その後の記者会見で、市長は「今は夢を語っている時ではない。」と言っていた。気が付くのが遅すぎたのではないか。
今でも、「あの市長が夢を語った時のことは忘れない」と言っている被災者は多い。災害で深く傷ついた人たちをさらに傷つけた、あの時のことを、わたしも決して忘れることはないだろう。
(参考)熱海市ホームページ「逢初川の復旧の方向性に関する説明会」議事録