NEW 何が本当か ―公文書の信頼性― <みかん>

 「会議録」それは、会議の参加者の発言を正確に記録するもの。
わたしはそう思っていた。しかし、熱海市においては、それは違っていたようだ。過去の説明会の議事録や、懇話会の議事録で、わたしの記憶と違っているものが散見される。わたしは、ほとんどの説明会や会議、個別の面談も録音している。確認しようと思えば確認もできる。でも、自分がしゃべったことぐらい覚えている。「あぁ、またか。」いつもそう思う。最近はあまりないが、初めのころはひどかった印象がある。
説明会や面談の時、録音する人はそれなりにいる。過去に痛い思いをしていて熱海市のことを信用できないからだ。言葉はすぐに消えてしまうから、「言った」「言わない」で揉めることになる。そうなると住民が圧倒的に不利だ。だから、録音するのである。復興を担う行政が信じられず、住民がそのやりとりを録音する。これは異常なことではないだろうか。
言葉では、「住民のみなさんに寄り添って」とか言っていても、結局説明会などの記録を、自分たちの都合よく変えてしまう。それでは、住民は行政のことなど信用できない。そこに、信頼関係はないと言っても過言ではないだろう。
結局、記録として残ってゆくのは公文書である。たとえ中身が合っていようが、間違っていようが。たかが議事録。されど公文書である。住民の手の届かないところで自分たちに都合よく変えてしまうことは、住民に対する裏切り行為ではないか。それでは「記録する」、そのこと自体無意味に思えてしまう。公文書とは一体何なのか。公文書≠正しい。組織の体制が透けて見えるようだ。

2025年07月27日|声:被災者の声