NEW 砂上のモニュメント ―誰のための町―
被災した岸谷地区は住宅地である。逢初川と並行して走る市道岸谷本線周辺は、特に古くから何代にも亘ってそこに住んできた家が数多くある。確かに高齢化が進み、町に活気はなかったかもしれない。しかし、あの土石流がなければ、今でもその場所に穏やかに住み続けていただろう。
令和3年9月9日、第3回目の静岡県と熱海市の担当者による「逢初川河川災害復旧計画に係る打ち合わせ」が行われた。静岡県、熱海市への情報公開請求によりその内容が明らかになった。
その要旨としては、二級河川逢初川の災害復旧及び河川改修計画に合わせた道路整備や復興計画について、静岡県と熱海市で打合わせを行っていて、前回(令和3年8月27日)の打合せの宿題についての確認だった。
その内容は、驚くべきものだった。まず、市長、経営企画部長、観光建設部長の3名で相談した結果として、川の両岸に4mの道路整備を進めて欲しいということ。糸川や初川沿いのように一方通行で周回できるようにしたいこと。市道が川につながるところに橋を設置して、モニュメント的にしたいこと。そして、市長の復興ビジョンの意向(イメージ)は「水を感じられるような逢初川沿いの歩道を整備したいことと、伊豆山神社との周遊を確保したいことであることなどが書かれていた。
逢初川は危険渓流である。上流部は言うに及ばず、中流部も下流部も全て傾斜がきつく、糸川や初川の平坦な下流部とは違う。散策するようなところではない。そして流れも速く、水辺に降りることなど到底できない。市長は現地のことも知らず、ただ現実離れした夢をみているのか。そして何より、被災した地区は住宅地である。住宅地にモニュメントはいらない。邪魔になるだけである。
また、「逢初川復旧・復興計画に関する市(内部)での検討内容のわかるもの」という内容で、公文書の開示請求をしたが、請求に該当する行政活動は行っていないという理由で不開示となった。市内部での検討は行っていないらしい。
つまり、被災のわずか2カ月後には市長と2人の部長の意向だけで逢初川両岸の道路計画はほぼ決まっていたということになる。市長が望む逢初川沿いの周遊道路は住民のためのものではない。今まで住んでいた住民をどかして、川沿いに遊歩道を作って観光客を呼び込みたい。それが市長の考える伊豆山復興なのだろう。特に逢初川中流部がその目玉というところだろうか。
何度も書くが、市長が観光地化したいであろうその場所には、元々住民が住んでいた。なぜ住民は、大事な土地を黙って差し出さなければならないのだろうか。市長と2人の部長には、多くの思い出や思いのこもった土地を奪い、その後の住民の未来を変えてしまう権利があるのか。その3人には、そんな勝手なことが許されるのか。
この町は一体誰のものなのか。住民のものではないのか。市長や2人の部長のものではないだろう。何かがおかしい。何かが間違っている。帰りたいと思う人が、どうしたら帰ることができるのかを考えるのが行政の仕事ではないのか。目の前の帰りたい住民を見ずに、遠い先の創造的復興ばかり見ていても上手くはいかない。住民の思いを無視して寄り添わない姿勢が、今の復旧すらできていない状況を作り出したのではないか。たった3人で決めた、住民の思いも現地の地形も無視した計画は、まるで砂上の楼閣である。今の状況がそれを物語っているのではないだろうか。
(参考)
・令和4年12月9日付 熱土企第60号にて静岡県より公文書部分開示決定された令和3年9月9日(木)に開催された静岡県及び熱海市による逢初川河川災害復旧計画にかかる打合せ(第3回)の会議記録簿
・令和4年12月2日付 熱海市指令観ま第244号にて熱海市より通知された公文書不開示決定通知書