NEW 「まちづくり」
被災エリアは昔から、市道岸谷本線沿いに家が建てられ、この道路を中心にして集落ができていた。言わば岸谷のメイン道路だった。だから「本線」なのではないか。
本線沿いの住民の中には、きっと狭い本線を拡げてくれるだろうと思っていた人も多いと聞く。なぜなら本線の拡幅が、本線周辺の住民にとって一番利便性が上がるからである。特に狭い所が30cmでも広くなれば、運転も楽になるし、人の通行も安全性が高くなる。
しかし、静岡県と熱海市が川と道路の計画を示した時、逢初川両岸に4.7mの道路を造り周回できるようにすることと、岸谷2号線の計画しか出てこなかった。住民説明会で岸谷2号線から上の岸谷本線の拡幅はしないのか質問したが、逢初川両岸の道路ができたらその後で考えると当時の副市長は答えた。わたしは、「まちづくり」のことに関して何の知識も持たないが疑問に思った。普通「まちづくり」と言ったら、そのエリアの中で人や車の流れなどトータルで考えるものなのではないのか。とりあえず1つ道路を造って、後はそれが出来てから考えるなんてことあるのだろうかと。
何人かの土木や建築の技術者にその疑問について聞いてみたが、みんな答えは一緒である。
「普通はね。」
熱海市の「まちづくり」は普通ではないようだ。
復興まちづくり懇話会の学識経験者の先生がよく
「ただ直しただけにならないように」
とおっしゃっている。また、しかし現状そうなってしまっているとも。更に前回の懇話会で、消防団の詰所の壁の色を制服の色にしたことについて、
「そうゆうことをしていると、思い付きの寄せ集めのようになってしまう。」
と苦言を呈した。結局、それぞれが1つの町の構成要素として考えられていないということなのではないかと聞いていて思った。
熱海市は、小規模住宅地区等改良事業で躓いた。宅地の9割補助制度に切り替えた時点で、「まちづくり」から外れたのではないか。最初から、被災者、住民としっかり向き合い、とことん話し合っていたら、被災者、住民と共に「まちづくり」をしていたら、伊豆山の被災エリアはどんな町になっていたのだろうかと思いを馳せると残念でならない。