避難所とコロナ—分断された被災者—

 

 土石流発災時は、コロナ禍の真っ只中であった。また、暑いさなかで、高齢者も多いことから、二次避難所は市役所近くのホテルだった。体育館という大きな空間に大人数が集まるリスク、熱中症のリスクを考えれば、非常に有難い決断であった。熱海市としても、お金はかかるが、市役所近くの1か所に集約できることは管理し易かったのではないだろうか。
 1家族1部屋を割り当ててもらい、プライバシーは守られた。体育館などの避難所とは比べものにならないくらい快適に過ごさせてもらい、その点に関してはとても感謝している。しかし、個人情報の壁もあり、隣の部屋に誰がいるのかすらわからなかった。わがままと言われるかもしれない。しかし、この時のことが後々まで尾を引き、避難所を出てからも、近所の人が今どこにいてこれからどうするつもりなのか、全くわからない状態になってしまった。
 今までのコミュニティーが好きで、みんなが帰るなら帰りたいとか、あの人が帰るなら帰りたいと思うのはごく普通のこと。しかし、みんなばらばらになり、携帯電話の番号を知っている人としか連絡をとることはできなくなっていた。どうしたものかと悩んでいるうちに時間が経ち、帰るのを諦めてしまった人もいたようだ。
 令和6年7月現在で帰還したのは132世帯の内わずか22世帯。コミュニティーの再生はできるのだろうか。

2024年07月03日|被災地の今:発災からの日々