住民の生命を守ること④—逃げるということ―
『逃げる』、その言葉にはいくつかの意味があるが、災害時には「危険な状態から抜け出る」という意味であると思う。人の一生の中で、命の危険を感じることはそうたくさんあるものではない。しかし、伊豆山の土石流で被災した人で、命の危険を感じた人はわたしを含め多数いると思う。だから逃げた。そして今ここにいる。何故逃げられたのか。それは、危険を感じることができたから。何故逃げられなかったのか。危険だということを知らなかったから。誰も危険だと、今すぐ逃げなければ命が危ないと教えてくれなかったから。
地震は突然だが、揺れの大きさで身をもって感じられる。自分のいる場所を考えれば津波も予測できる。地震については、いろいろなところで大きな地震があったり、避難訓練も行われていて、割と人々の中に『身を守る』ということが浸透しているのではないかと思う。
しかし土砂災害は、どのタイミングで逃げたらいいのかよくわからない人も多いと思う。土砂災害警戒区域かどうか。雨の降り方はどうか。土の中にどのくらい水分が溜まっているのか。前兆はあるのか。そして、自分たちの頭の上に危険な盛り土はないのか。
ハザードマップを見て、天気予報を確認して、キキクルを見る。自治体からの避難の情報をしっかりチェックする。それが、誰からも教えられずにできる人が一体どれくらいいるだろう。「自分の身は自分で守る」それが理想だと思う。しかし、現実的にはなかなか難しい。
行政の役割は、住民が自分の身を自分で守れるように知識と認識を持てるようにすることではないか。市町村が、平時からの訓練と災害時の的確な情報を提供することが大事なのではないかと思う。
災害が起こってしまったら、何をおいても「今逃げなければ、命が危ない」というメッセージを確実に危険な場所に居る人に届けなければならない。そして、どこにいる人が危険なのか、範囲を指定して確実に伝えなければならないと思う。ちゃんと伝わらなければ、いくら発信しても意味がない。
伊豆山の土石流災害では、それがちゃんとできていたのだろうか。亡くなられた27名の方にはおそらく、熱海市からそれが届いていなかった。もしもちゃんと危険が知らされていたらと思うと残念でならない。