令和6年9月熱海市議会本会議を傍聴した。ある議員が伊豆山に関する質問をしてくれた。その質問によれば、被災前に復興の計画区域には8,700㎡の宅地があったが、熱海市の復興計画通りにまちづくりがされると、宅地は3,000㎡に減ってしまう。5,700㎡の宅地はどこへ行ってしまったのか。住民が戻らないから減ったのではない。戻りたくても、戻る土地が無くなってしまったのである。減った5,700㎡の宅地は川や道路、公園に置き換わってしまった。
確かに災害で怖い思いをして、もうここには住みたくないと言う人もいた。しかし、川や道路に土地を取られた人の中には、もう一度同じ場所に住むことを望んだ人もいた。熱海市長は、帰りたいと思う人が一人でも多く帰れるようにと言いながら、帰りたい場所を奪ってしまった。それでは帰れる訳がない。
また、静岡県の担当者は、「川の計画はふつう住民の意見は聞かない。」と言った。
しかし、「安全・安心」では説明できない不自然さを地権者は感じている。
一体誰のための、何のための復興なのか。わたしは、帰りたい人が一人でも多く帰れるには、どうしたらいいのかを考えるのが行政の仕事だと思っていたが、間違っているのか。ハード面の復興の後の、「創造的復興」で、人が戻らず空いた土地を使って、観光客を呼んで、交流人口を増やし、移住を促進して、新しい人を呼び込めば、今まで住んでいた人はもういらないということなのか。
もし、熱海市長の望む創造的復興を遂げることで新しい町ができるのなら、それは、もうわたしたちの伊豆山ではない。
被災地の現状
届かない通知—避難者は住人か?―
令和6年10月1日に開催された地区別説明会で、ある質問をした。その回答は、それについては、町内会の回覧ですでにお知らせしてあり、町内会に任せてあるとのことだった。しかし、町内会の回覧や配布物は、伊豆山を離れ避難生活を送っている人に、町内会から届くことはない。そして今回、回覧されたものも、当然避難者には届けられなかった。
避難者にだけ情報が届かないことは、今までも何度もあって、その度に静岡県や熱海市には改善を求めてきた。何から何まで届けて欲しいと言っているのではない。今避難生活を送っている人は、帰りたい気持ちのある人だと思う。伊豆山のことや、復旧・復興に関わることは知りたいと思うのは当然のこと。今回もなぜ届けてもらえないのかと言ったら、担当部長はこう答えた。
「届けるべき人には届けてあります。」
「それでは、届いていないわたしは、届けるべき人ではないということですね。」
という言葉が思わずわたしの口から出た。
「そんなことは言っていません。」
と否定したが、届けるべき人ではなかったから届けなかったという、それ以外に一体どういう解釈ができるだろうか。
なぜ何度お願いしても、避難者にだけ情報が届かないのだろう。こんなことがもう何度も何度もあって、避難者は伊豆山の住人ではないと言われているような気すらする。
なぜ避難者にだけ情報が届かないのか担当部長とやりとりをしたが、最後まで、とうとう謝罪の言葉はなかった。やはり、避難者は情報を届けるべき人ではないのかもしれない。
帰還への迷い
令和6年6月20日の熱海市のまとめでは、32世帯63人が地元への帰還を希望していながらまだ帰れず、避難生活を続けている。この中には、自宅が全壊等し公費解体をしたため、再建しなければ戻れない人もいれば、自宅の近所の人達が戻るのかどうか分からずに、戻るのをためらっている人もいる。そのほかにも、おそらくそれぞれが様々な事情を抱え、未だ戻れないでいる。
7月31日に開催された第3回熱海市伊豆山復興まちづくり推進懇話会で、ある委員から提案というかお願いがあった。近所の人たちが戻るのかどうか分からずに帰還をためらっている人たちの話を聞いて、相談に乗ってあげて欲しいというものだった。個人情報の高い壁があるのは百も承知の上で、それでも何とかならないのかという切実なものだった。
熱海市の回答は、個人情報保護の関係でそれはできないというものだった。地区別説明会に出てくれば近所の人に会えるのだから、そこで確認してくださいということである。
それは、そうなのかもしれない。しかし、年1回しか開催されない地区別説明会に行けば、全て解決する訳でもないだろう。学識経験者として懇話会に入っておられる先生のお話では、その辺の課題を上手く処理できた市町村は、比較的スムーズに帰還が進んだそうである。熱海市には、どうしたら良いのか、どんな方法があるのかもっと考えてもらいたい。帰りたいから迷っているのだと思う。その気持ちを大切にしてあげて欲しい。せっかく帰っても、仲の良かったご近所さんも居なくて、ポツンと一人きりでは悲しすぎる。
動き出した農地再生
以前農地の再生について「被災地の今」の中で書いたが、8月初旬に市役所の担当者から現地を見たいと連絡があり、立ち会うこととなった。元警戒区域内の他の農地についても順次立ち合いをするということである。
市役所からは、昨年度に制度設計をして根拠となる要綱を作り、補正予算を組んで補助金を出してくれると聞いていた。しかし、年度末になっても動きがなかったので、令和6年3月22日に開催された第2回熱海市伊豆山復興まちづくり推進懇話会で、どうなっているのか質問した。熱海市からの回答は「制度の検討中」ということであった。
元警戒区域の中の商業を営む事業主には既に補助金が交付されていて、漁業についても静岡県から補助金が出たようだ。しかし、小規模な農業者ばかりだったため、市長は施政方針の中で警戒区域内の農地の再生を謳いながら、農業者に対する対応や補助は今まで放置されてきた。
放置された農地は雑草が生い茂っている。猪に荒らされ石積みが崩されてしまった所もある。流れてきた土砂と一緒に良い土までも取り除かれてしまって、このままでは作物は育たない。土石流で壊された石積みを直し、土を入れ替え、以前と同じ状況に回復させたい。より良いものは望まない。以前と同じでいい。
今のうちの畑の状況を傍から見ると、耕作放棄地のように見えてしまっていると思う。しかし、決して耕作放棄地ではない。必ずまたその土地で、自分の手で農業をするという強い意志がある。そこだけは譲れない。先祖代々受け継いできた農地を守る。そして、わたしの息子に引き継いでいく。
熱海市にはこの立ち合いをきっかけに、ぜひとも農地の再生への動きを加速して欲しい。市長の施政方針通りに農地を再生することは、小さいかもしれないが、伊豆山の復興への確実な一歩である。
農地の再生については、その動向について逐一ここで報告していきたいと思う。
年1回の地区別説明会
令和6年3月22日開催の第2回熱海市伊豆山復興まちづくり推進懇話会の中で、「関係者への丁寧な説明と合意形成」についての要望があり、熱海市は「今後も地区別説明会のような、参加された方が意見を述べやすい、少人数による意見交換を継続し、分かりやすい説明と丁寧な意見徴収につとめてまいります。」と述べている。そしてその対応として、令和6年8月から11月にかけて、元警戒区域を7地区に分けて6回の地区別説明会と、3町内の町内別説明会を開催する予定である。説明会としては9回開催されるが、住民は自分の該当する地区の説明会に1回しか参加できない。そして、今年度の地区別・町内別説明会はこれしか開催されない予定である。つまり、年1回しか開催されないのである。
7月31日の第3回復興まちづくり推進懇話会でそれが示されると、委員からは不満の声が挙がった。当日出席の委員7名のうち4名から「説明会が少ない」、「もっと意見を聞いて欲しい」、「市長が忙しいなら職員だけでも来て毎月でもやって欲しい」という声が挙がった。被災者・住民は、自分たちの今の状況を聞いて欲しいと思っているし、熱海市が何をどのようにしようとしているのか知りたいと思っていて、この先どうなるのか不安を感じている。年1回しか開催されないのは、あまりに少なすぎる。しかし、それを聞いた市長の回答は、「工事の説明会もありますから」であり、これ以上地区別・町内別説明会を増やす気はないようである。分かりやすい説明と丁寧な意見徴収をすると言っておきながら、年1回しか開催しないのはあまりにお粗末である。
被災者・住民はみな、先行きに不安を抱えている。言葉だけではなく、もっと被災者・住民に寄り添う姿勢を見せるべきではないだろうか。
帰還率≒市の評価点
令和6年3月31日現在、元警戒区域内への帰還世帯は避難していた132世帯のうち20世帯、帰還率15.15%である。 発災から2年9カ月が経ち、警戒区域解除から7カ月経っても、まだ40世帯が戻りたくても戻れないでいる。そして現実的には、40世帯の全てが戻るということはおそらくないだろう。
災害などにより復興を目指すとき、帰還率60%を目標にすることが多いようだが、伊豆山の場合、最高でも45.5%にしかならない。決して合格点とは言えないだろう。
これは住民の帰還率における、熱海市の施策に対する評価点ではないだろうか。現在100点満点で15点。これは帰りたい住民にとっても、熱海市にとっても、非常に残念な現在の評価点である。
ひざ詰め ―少人数での説明会―
令和6年3月22日に第2回「熱海市伊豆山復興まちづくり推進懇話会」が開催され、熱海市伊豆山復興基本計画およびまちづくり計画の変更案について熱海市より説明があり、委員からそれに対する意見が聞かれた。
変更内容の中で、一番大きいものは、河川・道路事業の期間の2年延長である。JRとの協議に時間がかかっていることと、用地買収が進んでいないことが原因であると熱海市は説明している。確かに見た目にも工事は進んでいない。
また、第1回懇話会での意見を踏まえて1つ追記されたものがある。
「また、被災者の方々と膝詰めで意見を聞く場として、少人数での説明会を実施し、丁寧な情報提供を行っていきます。」というものだが、これは本来、もっと早い時期に行われるべきものであり、果たして2年8カ月経って追記するものだろうか。今追記するということは、今までやってこなかったということを、認めるということになりはしないだろうか。
実際に少人数の地区別説明会が令和5年10月17日から令和6年1月23日まで7回行われた。熱海市は「7回開催した。」としているが、これは同じ説明会を、7つの地区に分けて行われたものである。正確には、のべ7回開催されたのであり、実質1回である。
住宅解体の補助
半壊未満の住宅は希望しても公費では解体されない。そこで半壊未満の住宅を解体する人に、500万円を限度として費用の2分の1を熱海市が補助を行う。 この住宅解体補助は、空き家対策として行うと前副市長が言っていた。空き家対策のため、土石流が原因で一部破損した住宅が、解体し同じ土地に建て直す場合は対象にならない。あくまで、住宅を解体して別の場所に再建する人、または住む人が対象である。一方、警戒区域内の古くからのアパートも他の住宅と同様に、壊れていなくても、災害対策基本法第63条により2年間戻ることが出来なかったため、建物、設備の老朽化が一気に進んでしまった。新入居者を得るためには、多額の設備更新費が必要となるが、設備更新を上乗せした家賃は見込めない。
自身がアパート経営者だったら、安定した経営ができないのであれば、補助を利用し、建物を解体したいと思うだろう。しかし、アパートに住んでいた人の中には、同じところに戻ることを希望した人もいた。ところが、アパートはもう辞めてしまうし、公営住宅は作られないので、戻ることを諦めざるを得なかった。 そうしたことを考えれば、この補助制度は帰還したい人には使えなく、空き家対策の名のもとに更地化を進めるための補助になりかねないのではないだろうか。
百草繚乱 ―荒れる被災地―
雑草は元気だ。伊豆山でも帰りたくても帰れず、心が折れてしまいそうな被災者にお構いなくのびのびと育っている。そろそろ草刈りをしなければという声も聞こえてくる。
少し前まではまだ草が少なく、茶色の土地が目立ち、猪の足跡があったり、掘り返した跡があちこちに見られた。動物もまた被災者の心知らずである。
雑草の緑も、土の茶色も同じで、要は荒れているのである。人が戻れない。そこで人の活動が行われていない。もう一度以前のようにと望んでも、まだどうすることもできないでいるということである。
土地は時間が経てばどんどん荒れていく。人の心も時間が経てば離れざるを得なくなっていく。私たちは時間がかかることで、自分でも気が付かないうちに大事なものを少しずつ失っているのではないだろうか。
農地の再生
警戒区域の中には、少しだが農地があり、複数の人がそこで作物を作っていた。農家として野菜を出荷している人もいた。
熱海市は、令和5年度及び令和6年度の市長の施政方針の中で、「伊豆山土石流災害により被災した農地の復旧につきましては、土地所有者及び関係者と協議を行いながら進めてまいります。」としている。熱海市は農地の再生にかかる費用に対して、補助金を交付することを該当者に約束している。当初、令和5年度で補助金のための要綱を作り、補正予算を組んで交付するという話だった。しかし、令和6年3月22日に開催された第2回熱海市復興まちづくり推進懇話会の中で、観光建設部長より現在制度について検討中である旨の説明があった。農地は宅地などと比べて軽んじられることが多い。だが農家にとっては、農地を失うことは生活の糧を得る術を失うことである。例えるなら、製造業の人が工場を失うのと同じである。農家は農地がなければ農業ができないのである。生活の糧としてだけでなく、生きがいだったり、心の支えとしても、農業を続けられることは農業者にとって、とても大きな意味がある。再生を希望する農業者全てが、また以前と同じように作物を作ることができるようになることを願ってやまない。
希望の苗木 ―再生を阻む土―
土石流はあらゆるものを吞み込んで、数多くのものをわたしたちから奪っていった。そして後に残されたものは、汚れた大量の泥だった。
多くの方々のご尽力でこの泥は取り除かれた。そしてその傷痕を、乾いた痩せた土が覆いつくしていた。
2年目の初夏に、ひまわりの種を被災した畑にまいた。きれいなひまわりが土色の景色を覆い隠してくれるはずだった。しかし、花は咲いたが通常の半分ほどの背丈にしかならなかった。想像以上に土の状態が悪かったからだ。畑を再生させたいわたしにとっては、非常に残念としか言いようがなかった。
今、避難先のアパートで、甘夏みかんの苗木を育てている。発災前に甘夏みかんをあげた方が、種から5cmほどの苗木に育ててプレゼントしてくれた。わたしたちにとっては、まさに希望の苗木だ。必ずもう一度元の畑に植えるんだという目標ができた。実がなるまでには何年もかかるので、わたしが生きているうちに実を食べることはできないかもしれないが、それでも、もう一度、畑を復活させたいわたしにとっては、それは間違いなく、一筋の希望の光である。